8月30日に行われた独立か、特別自治区としてインドネシアに併合されるかを問う歴史的住民投票は、 78%という圧倒的多数を持って、独立が住民の意思であることを全世界にアピールした。しかし住民投票の翌日から、 続いていた、併合派民兵による住民への襲撃は、4日の発表以降急激にエスカレートし、ついに国連派遣員やジャーナリスト 達の国外避難へと至った。現在東チモール内で起きている事は、単に住民同士の対立から来ているものだろうか?


いったいいつまで我々はこんな茶番劇を、見せられなければならないのだろうか。現在のような事態が起きることは、今年 5月に住民投票がインドネシア軍の警備によって行われると決まってから、十分に予測できることだった。

ここで順を追って、住民投票までの経過を簡単に見てみよう。まず1975年にインドネシア軍が東チモールを不法に侵略、 その後23年にわたって、このインドネシア軍が東チモールの人々に、拷問、強姦、強奪、虐殺を繰り返してきた。人々の最大の 願いはこのインドネシア軍の、撤退であった。今年1月、ハビビ大統領が、住民が望むなら独立を認めると発表。そして5月、 国連の仲介で、旧宗主国(国際的認識では現在も宗主国)のポルトガルとインドネシアとの協議の結果、国連の監視の元、 独立か、併合かを問う住民投票の実施が決定した。しかし国連はあくまで武器を持たず、公安はインドネシア軍が受け持つという 事での合意であった。そして結果はご覧の通りである。

全く国連はよっぽどバカしかいないのか、お人好しなのか、インドネシアの言うことを額面通り受け取っていたのだろうか? 仮にこの時点でインドネシアを信用したとしても、その後住民投票に至るまでの経過で、インドネシア軍が併合派民兵を背後から 支援をしていることは、明白だった。それでも国連はインドネシアの顔を伺い、あくまで公安をインドネシア軍に任せ続けていた。何度か併合派と独立派の代表の会合や、協議がバカ大袈裟に行われたが、それこそインドネシア得意のパフォーマンス、とんだ茶番で状況は悪くこそなれ、良くはならなかった。

インドネシアが、住民投票の条件として、インドネシア軍の駐留を強調した段階で、胡散臭い話であることは明白だった。インドネシア、少なくともインドネシア軍は、本気で東チモールを手放すことなど考えてはいない。国連とポルトガルが住民投票の実施のための妥協として、この条件を受け入れたのだとすると、とんだ大失策である。例え実施が遥か先になったとしても、軍の撤退なしに、もしくは国連軍の受け入れをなしに、住民投票は行うべきではなかった。

そして今、住民の安全の為と称して、さらなる軍が東チモールに送り込まれている。まさにインドネシア軍の描いた筋書き通りといったところだろう。このまま国連やジャーナリストらの海外からの人間を閉め出した後、公安を大義名分に戒厳令をしき、軍統治を行おうとでもしているのだろう。つまりは23年前に行われたことが再び繰り返されようとしているのだ。これだけ大袈裟なお膳立てをしておきながら、それをただ指をくわえてみているのだとしたら、国連はとんだ間抜け組織だ。

無論、現地で働いてきた国連の派遣スタッフ達の功労は計り知れないものがある、それだけにそれをコントロールする組織構造が、そんな人々の努力すらも無意味化するのだとしたら、なんとも歯がゆいことだ。そもそも国連は東チモールをインドネシアの一部とは認めていない。住民の意思がはっきりした今、何をこれ以上インドネシアの言い分を聞く必要があるのだろうか?

インドネシアがここまで東チモールに執着する理由には幾つか説があるが、私なりに推測するには、完全に政治的、極めて利己的な理由によるものである。まず、ハビビ自身は東チモールは手放したいと思っている。ハビビはイリアンジャヤには多くの利権を握っているものの、東チモールにはそういった利権を持っていない。これ以上東チモールと関わることは、軍の駐留など経済的にも負担が多い上に、国際的な評判を落とすことになる。

しかしインドネシア軍は東チモールに様々な利権を持っており、独立を認めるとこの全てを失うことになる、さらに独立によって過去の悪行三昧が暴かれれば国際法廷に立たされ、極めて重い刑に処される可能性もある。かといってハビビは軍の行動をおおっぴらに阻止することは出来ない。なぜならば来る大統領選で、メガワティ候補に対し苦戦を強いられることが必至のハビビにとって、軍部の票は失いたくはない。これが昨年から現在に至るまで、政府の発言と実際がかみ合わない理由だと私は見ている。

事が起こる前と後では、同じ平和維持軍を送るにしてもかなり、ニュアンスが違ってくる。既に数万のインドネシア軍によって管理されている状況の中に、他国の軍が入ることは、場合によっては戦争の危険性もはらんでくる。しかしこれ以上インドネシアの言い分を聞いていれば、その間に数十数百の、全くの罪のない人々が殺され続けるのである。

遠く離れた日本にとって、こんな小さな地域の人々がどうなったところで痛くもかゆくもないかも知れない。それよりはキムタクが何故、彼女と別れたかの方が重要な問題なのかも知れない。しかし、日本政府の動き方次第で、この人達の命が救えるかもしれないと考えたことがあるだろうか?日本はインドネシアにとって最大の援助国である。その日本からのプレッシャーがインドネシア政府に与える影響は計り知れないものがある。

だからといってただ日本政府を攻めればよいと言うものではない。政府を動かすのは世論であり、世論は国民一人一人から生まれるものである。不況不況と言っても我々日本人は暮らしの上で十分な豊かさを持っているはずである。ならば少しは他の国の人々のことを考えても良いのではないだろうか?偽善と呼ばれてもそれで人が救えるのならそれで良いのではないだろうか?

私自身、一度この問題に関わっておきながら、今回東チモールに行かなかったことをひどく悔やんでいる。前回の取材の時に世話になった家族の住む地域も民兵による襲撃を受けていると聞く。ジャーナリズムとはかくも無力なものなのだろうか?今ここで我々に出来ることは本当にないのだろうか?少なくともこの記事を読んだ人には是非考えて欲しい。


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